(しかし、実際どうしたものか……)
 せっかく伊吹先生の直々のご指導をいただけることになったというのに、肝心の木細工のアイディアが浮かばない。伊吹先生の目の前で潤のようなヲタクオーラー全開の彫刻を彫るのは恥ずかしいし、版画も彫る気にならない。
「なかなか手が進まないみたいね、祐一君」
 俺の手が動いていないのを見かねてか、風子の相手をしていた伊吹先生が俺の元に近付いた。
「ええ。何を作ったらいいか思い浮かばなくて。何かいいアイディアはないでしょうか、伊吹先生」
「そうね……。アイディアってほどじゃないけど、やっぱり自分が好きな物を作るのがいいわね」
「好きな物って言われても、色々あって余計に煮詰まるんですけど」
「そう。なら、好きな物の中でも思い出深い物なんてどうかしら?」
「思い出深い物?」
「自分の記憶に焼き付いている、印象深かった物、思い出深い物……。そういう自分の心に深く根付いている物を作ろうと思えば、テーマは絞り込めてくるはずよ」
(自分の記憶に焼き付いている、印象深かった物、思い出深い物ねぇ……)
 伊吹先生に言われたように、幼少の頃からの記憶を辿って思い出深く印象に残っている物を探ってみる。初めて買ったおもちゃ、初めて読んだ漫画……。記憶を巡ると、自分の心の保管庫に仕舞われていた数々の思い出の品が頭を駆け巡る。しかし、どれもこれも作ろうという動機が沸き起こるものではなかった。



「いい? このふつうのお人形さんに手をかざすと……」



「わー、すごい、すごい!」



(ん……?)
 自分の記憶の深いところまで検索をかけていると、あるとてつもなく印象深い情景に辿り着いた。それは、物自体は何の変哲もないただの人形だった。けど、その人が手をかざすと、不思議に人形はひょこひょこと歩き出すのだった。
 自分の目の前で繰り広げられる不思議な人形劇。その人形劇に歓声と拍手を送る幼き日の自分。今となってはその手品師が誰だかも分からず、一見手を触れずに動かしていた人形にも、何かしらの仕掛けが施してあったのだろう。けど、その人形劇は間違いなく幼き日の自分に多大なる好奇心を与えたのだ。
 あの人形劇で使われていた人形を作ろう。一瞬そう思ったが、すぐに思い止まった。あの人形劇は確かに思い出に残るものだったが、それは劇が印象深いのであって、人形その物が印象深いというわけではない。実際に、どんな人形が使われていたかは思い出せない。
(ん~~人形、人形……)
 他にいいような題材が思い浮かばないので、俺はその人形がどんな形だったか必死で思い出そうとした。



「ありがとう、祐一くん。ずっと………、ずっと大切にするよ」



「それでは、ボクのひとつめのお願いです……。ボクのこと、忘れないでください……」



(人形……っ!?)
 記憶を辿っていると、まったく違う人形に辿り着いた。それはある大切な人にあげた人形だ。俺はその大切な人にこの人形は願い事が叶う人形だと言った。そうして大切な人は願った、”ボクのこと、忘れないでください”と――。
 その大切な人が誰だかは思い出せない。喉元まで出掛かっているのに何故か思い出せない。けど、あの時あげた人形がどんな形だかは、鮮明に思い出すことができた。
 ならば決まりだ。あの時大切な人にあげた人形を模した彫刻を彫ろう。伊吹先生の助言に従い思考を続け、ようやく木細工のアイディアが思いついた。
(しかし、情けないよな、忘れないでって願われたのに、今の今まですっかり忘れていたんだものな……)
 それは大切な人と交わした約束だったはずなのに、俺は自分の記憶を辿るまでそのことをすっかりと忘れていた。そして未だに大切な人が誰かさえ思い出せずにいる。
(だからこそ、この彫刻はちゃんと完成させなきゃな)
 記憶を辿って見つけた大切な物。それを模した物を彫り続ければきっと思い出すことだろう。そう思い、俺は伊吹先生から木材をもらい、記憶に残る思い出の人形を彫り始めた。



第壱拾四話「兄と妹」


「おうっ、こんな所にいたのか相沢!」
 作業を始めてから30分ほど経った時、第二美術室にズカズカと團長が入り込んできた。
「どうかしたんですか、團長?」
「ああ、実はお前に見せたいものがあってな……」
 ガタッ! ズダダダダダ!
 團長が俺に話しかけている最中、何者が椅子を蹴散らして逃げ出す聞こえた。
「……」
 何者かが逃げ出した方向に目をやる。逃げ出した部屋の隅には、何かに脅えるように身震いする風子の姿があった。
「……今の娘、なんだ……?」
「私の妹で、風子って言うのよ、和人君」
 俺に訊ねた團長に対し、伊吹先生が答えてくれた。
「なっ、伊吹先生の妹だってっ……!?」
 風子の正体が分かった瞬間、團長の風子を見る目が変わった気がする。
「ゴクリ……」
 生唾を飲み込む音が聞こえたと思ったら、團長は静かに風子の方へ歩き出した。
「っ!?」
 ズダダダダダ!
 團長が近付いて来る危険を本能で察してか、風子は対角線上の部屋の隅に逃げ出した。
「お~~い? どうしてそんなに逃げるんだ~~い?」
「こ、怖い人、風子に近付くなですっ……」
 ズダダダダダ!
 どうやら風子は團長の外見を怖がり逃げ回っているようである。
「お~~い、待てよ~~風子ちゃ~~ん♪ 待てったら~~♪」
 しかし、何より気になるのは團長の言動だ。風子が伊吹先生の妹であることが判明してからの團長の様子が明らかにおかしい。
「!?」
 その時俺は理解した。何故團長の態度が変わったか。そして同時に戦慄を覚えた。
「何ていう人だ……。げ、現実の中学生に”萌えている”っ……!?」
 そう、團長は間違いなく風子に萌えている。團長が風子を追いかける様は、我らヲタクがキャラクターに萌えている時とまったく寸分も違わぬ状態だ!
 別に何かしらのキャラクターに萌えるのは不思議ではない。しかし問題なのは、團長が”現実の少女”に萌えていることだ。基本的に我々ヲタクは二次元のキャラクターに萌えているのであって、三次元の人間に萌えるということはない。いや、三次元人如きに萌えを感じるのは、ヲタクとして背徳行為に等しいっ……!! 三次元人に萌えるヲタなど、クズだっ……ヲタクのクズッ……!!
「ふぅちゃん。和人君は應援團の團長さんで、おねぇちゃんの後輩にあたる人よ。だから、そんなに怖がらなくても大丈夫よ」
 團長と風子のイタチごっこをこれ以上続けさせないようにと、伊吹先生が風子に話しかけた。
「おねぇちゃんの後輩ならだいじょうぶ……なわけないですっ! やっぱり怖いものは怖いですっ!!」
 しかし、やはり本能的に察した危険を拭い去ることはできず、風子は更に逃げ続ける。
「團長~~、俺になんか用があったんじゃなかったんですか~~!」
 このままでは双方どちらかが疲れ切るまで終わらない千日戦争ワンサウザンドウォーズに突入すると思ったので、俺は團長に声をかけて呼び止めようとした。
「!! そうだった! こんな所で他の妹を追いかけ回している場合じゃなかった! 相沢、とにかく俺について来い!!」
 そんなこんなで俺は何かを見せたがっている團長に引っ張られる形で第二美術室を後にした。



 團長に連れられ向かったげんしけんには、潤等應援團メンバーと達矢が集結していた。
「で、何スか、オレたちに見せたいものって?」
「んっふっふ……てめえらがいくら俺がアピールしても、制服姿の有紀寧の可愛さを分かってくれねぇからなぁ……」
 潤の質問に、團長が気味の悪い笑顔で答えた。いや、百歩譲って有紀寧ちゃんが可愛いとしても、あんな風に写真を見せびらかそうとしてまで自慢されては、誰も引くだけだと思うんだけど。
「仕方なく、有紀寧を呼び寄せたんだよ。お~~い、入って来~~い! 有紀寧~~」
「はぁい、お兄ちゃん」
 團長に呼ばれて、可愛い声で有紀寧ちゃんがげんしけんに入って来た。佐祐理さんを少し幼くした感じの顔立ちに、初々しさが残る身体に着せられた大き目の中学校の制服。確かに制服姿の有紀寧ちゃんは可愛かった。
「なっ、なっ? 可愛いだろ? 抱きしめて頬ずりしたいくらい可愛いだろ? てめらには触らせてやんねぇけどな! 有紀寧を抱きしめていいのは俺だけなんだぜ! ほ~ら、ゆきねぇ、すりすりすり……」
「きゃ、くすぐったいです、お兄ちゃん」
 公衆の面前であるにも関わらず、團長は言葉通り有紀寧ちゃんを抱きしめて頬ずりをした。対する有紀寧ちゃんも嫌がる様子はなく、くすぐったそうにしながらも終始笑顔だった。
 兄は兄で妹を慕い、妹は妹で兄を慕う。何と理想的に仲睦まじい兄妹関係だ! しかしである! それを見せ付けられる第三者にとっては鬱陶しいことこの上ない。現に、俺を含めた皆が白々しい顔で二人を眺めている。
「ん? なんだてめえら、これでもまだ有紀寧の可愛さが分からないってのか? そうかいそうかい……」
 いや、単に團長の行き過ぎた愛情表現に白けているだけだと思うけど。
「分かったよ。制服くらいじゃ可愛さが分からねぇなんて、贅沢な奴らだぜ……。仕方ねぇ、徳川ぁ、部室借りるぞ!」
「えっ、別に構わないけど、何するの?」
「部室に何着かドレスがあったよなぁ。アレを借りるぞ」
「分かった、構わないよ」
「サンキュー。つーワケだ、これから有紀寧を華麗にドレスアップするから、少し待ってろよてめえら!」
 そう言い残し、團長は有紀寧ちゃんを連れてげんしけんを後にした。
「……ったく、團長の実妹萌えにも困ったもんだぜ……」
 團長がげんしけんから完全に立ち去ったタイミングを見計らって、潤が小声で本音を漏らした。
「ははっ、確かに。しかし達矢、部室にドレスがある部って、何部だ?」
 俺は團長が部屋と衣装を借りた部室が何部が気になり、達矢に訊ねた。
「ああ。演技部だよ」
「成程、演劇部か。それなら演劇用のドレスがあっても不思議じゃないな」
 しかし、この見るからに小心者で引っ込み思案に見える達矢が演劇部所属だなんて、意外といえば意外だ。
「けどさ、演劇部員だからといってお前が部屋借りる許可を出してもいいものなのか?」
 達矢が勝手に部外者に部室を借りる許可を与えたのは他の部員の迷惑なんじゃないかと思い、俺は訊ねた。
「大丈夫大丈夫。僕が部長だから」
「成程、確かに部長自らが許可を出せば……って、ええっ、お前が部長~~!?」
 達矢が演劇部だというのでさえ十分に意外だったというのに、その上に部長だったとは……。俺はあまりの意外性にただ驚くしかなかった。
「仕方ないよ。部員は僕と應援團掛け持ちのジュンだけだし。ジュンは應援團が忙しいから僕が部長をせざるを得ないんだよ」
 成程、達矢が他から選ばれて部長を務めているのではなく、単に人がいないから自動的に部長になっているだけなのか。
「このままだと僕らが卒業した後に廃部になっちゃうから、後輩に入ってきて欲しいところなんだけどねぇ」
 しかし達矢の願い空しく、この後俺たちが卒業するまで演劇部に新たな部員が入ることはなかった。このことが、後に演劇部を再興しようとするある少女に苦難の道を歩ませることになるのだが、それはまた別の話だ。



 團長が演劇部の部室を借りてから30分は経つ。みんな漫画読んだりゲームやっていたりとそれぞれ時間を潰しているので、特に待ち飽きている様子はない。
「遅いなぁ、團長。様子見に行くか、斉藤?」
「そうだな」
 待ち兼ねた潤は斉藤を引き連れて演劇部室へと向かった。俺もついでに二人の後に続く。
「團長何やってん……!?」
 演劇部室に入り團長に声を掛けようと思った潤が絶句した。潤が言葉を失うのも無理はない。團長は仕切りに隔てられた部室の一点をこの上なく満面の笑顔で見続けていたのだ。その身体全体から溢れ出す禍々しいオーラに、誰もが言葉を失ったのだった。
「お、お兄ちゃん……どう?」
 團長が見つめていた仕切りの先から、純白のドレスに身を包んだ有紀寧ちゃんが姿を現した。
「イイねぇ! 気にいっちゃったよオレ!!」
 團長は有紀寧ちゃんのドレス姿がえらく気にいったようで、やたらハイテンションな声で妹を褒め称えたのだった。
「お兄ちゃんに褒められて、わたしも嬉しい……」
「よーーし、有紀寧、次はこの真紅のドレスだ。きっと、西洋ドールみたいな可愛さに仕上がるぞ!」
「はーーい、お兄ちゃん」
 有紀寧ちゃんは團長から真紅のドレスを受け取り、また仕切りの奥で着替え始めたようだ。
「次はこの漆黒のドレスで、次はこれ……。んっふっふ、幸せだなぁ有紀寧のドレス姿が見れて。カメラ持って来りゃ良かったな~~」
「……こりゃ、時間かかりそうだな」
「だな……」
 恐らく團長は演劇部にあるすべてのドレスの試着を終えるまでげんしけんに姿を現さないだろうと思い、潤たちは呆れた顔でげんしけんに戻って行った。俺も二人には同感で、一旦げんしけんに戻ってから再び第二美術室での作業を始めることにした。
 その後、6時を回っても團長は姿を現さなかったようで、みんな團長を待たずに各々帰り出した。俺も名雪の部活が終わる時間に合わせ、迎えに来た秋子さんの車で帰って行った。



「祐一~~漫画、漫画~~」
 水瀬家へ帰宅し2階に上がると、ドタドタと足音を立てながら真琴が近付いて来た。
「何だ、渡した漫画全部読み終わったのか?」
「うん。だから続き読ませて、続き~~」
「はいはい。分かったよ」
 子供のようにせがむ真琴に呆れつつも、俺はドラえもんの単行本の続き数冊を真琴の部屋に持って行った。
「持って来たぞ、真琴」
「あぅ、ありがと祐一」
 真琴は俺から漫画本を受け取ると、早速寝そべって漫画を読み始めた。俺は漫画に耽る真琴を見送りつつ部屋を後にしようとした。
「ねえ、祐一。ドラ焼きってどんな食べ物?」
 すると、漫画を読みつつ真琴がドラ焼きがどんな食べ物か訊ねてきた。恐らく作中でドラえもんが美味しそうに貪る姿に食指が動いたのだろう。
「どんな食べ物って言われても、餡子が入ってる和菓子としか言いようがないな」
 最近は餡子以外のドラ焼きもあるようだが、ドラ焼きと言えば餡子が定番だろう。
「ドラ焼き食べた~~い。買って来て祐一」
「はぁ? もう夕食時だぞ!? 我慢しろ」
「ヤダヤダヤダ~~! ドラ焼き食べたい食べたい食べた~~い!! 買ってくれなきゃヤダヤダヤダヤダヤダ~~!!」
「分かった分かった。買って来てるから漫画読んで大人しく待ってるんだぞ」
 真琴が激しい声で駄々をこねるので、仕方なく俺はドラ焼きを買いに行くことにした。
「……ったく、ワガママな奴だな……」
 コートを着ながら俺はぶつぶつと愚痴る。真琴は見た目中学生くらいだが、中身は小学生という感じだ。
(ま、ワガママに付き合って買いに行く俺も俺だけどな……)
 もし第三者から見たら、俺と真琴の関係はどういう風に映るだろう? 恋人関係? いや、どう見ても兄妹関係にしか見えないだろう。ワガママ駄々っ子の妹に、妹の駄々に愚痴を漏らしながらも願いを聞き入れる兄。恐らく第三者にはそういう風に映るのではないだろうか。
 そう考えれば、俺も團長に負けないくらい妹に甘い兄なのだろうなと、俺は自嘲しながら夜の商店街へと繰り出していった。



「寒っ……」
 時間は既に午後の6時半を回っている。辺りは既に闇に包まれ、凍て付く風がコート越しの身体を吹き抜ける。北東北の冬の夜は、関東とは比べ物にないくらい寒い。3枚着の厚着の上にコートを着ているというのに、まるで裸で冷水を浴びているように冷たく寒い。
 それでも上半身はまだ冷たい風を厚い服が防護してくれている。ズボン一枚の下半身に、何の防寒具も付けられていない頬は凍て付く風が直接当たり、凍傷になるのではないかと杞憂するくらいだ。
 これだけ寒いと、たかだか数百メートル先の商店街に赴くだけで、雪中行軍をしている気分になる。とにかく真琴の欲しがるドラ焼きをさっさと買って、一分でも早く水瀬家に戻りたい。
(しかし、ドラ焼きなんて売ってるのか……?)
 水瀬市の中心街ならともかく、この東側偏狭の地神奈羽町でドラ焼きなんて売ってるものだろうか。
「ん? あれは」
 ドラ焼きが売ってそうな店を探していると、視線の先に「古河パン」の文字が見えてきた。恐らくここが古河さんのお店なのだろう。
「入ってみるか」
 パン屋でドラ焼きなんて売っているわけがないが、たい焼きを売っているという話だから、ひょっとしたらドラ焼きも売っているかもしれない。そんな万が一の可能性を考え、俺は古河パンの中へと入って行った。
「なんの ようだ!」
 店の中に入ると、いきなり古河さんがSaGa世界の接待言葉で出迎えてくれた。
「どうも、この間はお世話になりました、古河さん」
「御託はいいからとっとと何か買ってきやがれ」
 古河さんは相手が俺だからなのだろうか、やたらぶっきら棒な言葉で俺に購買を押し付けた。
「あの、ドラ焼きが欲しいんですけど、売ってないですか?」
「あ゛っ、ドラ焼きだぁっ!? 小僧、頭がおかしいんじゃねぇか? パン屋でドラ焼きが売ってるわけねーだろうが、ボケ! パン屋つったらあんパンだろ、あんパン。ドラ焼き食いてぇならあんパン買ってきやがれ!」
 やはりドラ焼きは売っていないようだ。けど、ドラ焼きなかったからあんパンで我慢しろって言って、真琴が納得するだろうか? いや、余計にドラ焼き食べたいドラ焼き食べたいって駄々をこね続けるだけだ。
「お父さん、せっかくいらっしゃってくださったお客さんに、そんな投げやりな接客をしたらダメですっ」
 そんな時、父親のあまりの傍若無人さに耐え兼ねてか、渚ちゃんが奥から顔を出した。
「こんばんは、渚ちゃん」
「あっ、こんばんはです、祐一お兄さん。どなたがいらっしゃたかと思えばお兄さんだったんですね」
 そう、渚ちゃんは笑顔で挨拶してくれた。本人が好きで呼んでいるのだから文句のつけようがないが、やっぱりお兄さんと呼ばれるのは気恥ずかしい。
「あ゛あ゛~~!? お兄さんだぁ? てめぇ、いつからそんな渚と親しくなった! 答えろ小僧! 答えねぇと死ぬまで早苗のパンを喰わせ続けるぞ!!」
 渚ちゃんが俺をお兄さんと慕うのが癪に障ったのか、古河さんは俺を激しく問い詰めてきた。いつからといえばこの間の引越しの時からだけど、あの時は古河さんもいたはずだし、古河さんが渚ちゃんが俺をお兄さん呼ばわりしているのを知らないはずはない。あの時は冗談で言ってると思ったのだろうか。
 しかし、この間も言っていたけど、やたら古河さんが食わせたがる早苗さんのパンって、一体どんなパンなのだろう?
「お父さん! 祐一さんのことは勝手に私がお兄さんと慕っているだけです。何て言いますか、祐一さんを一目見た時からお兄さんみたいだなって思ったんですっ」
「んなぁことは分かってるよ。ちょいと坊主をからかっただけだっての」
 やっぱり、古河さんは渚ちゃんが俺をお兄さんと慕っているのは承知済みのようである。
「あゆといい渚といい、何でこんな坊やに惹かれるかねぇ。やっぱ神夜さん、貴女の影響か……」
 神夜という人の名を呟き頭をボリボリと掻き毟りながら、興ざめたように古河さんは店の奥へと姿を消していった。
「お兄さん、家でドラ焼きは売ってませんけど、お隣の和菓子屋さんでは売ってますよ」
「教えてくれてありがとう、渚ちゃん」
 俺は渚ちゃんの親切心に感謝しつつ店を後にしようとした。
「あっ、待ってください、お兄さん」
 渚ちゃんは俺を引き止めると、保温していたたい焼きを俺に差し出した。
「どうぞ食べてください、お兄さん。焼き立てじゃないですけど、美味しいですよ。外寒かったでしょうから、これ食べて身体を温めてくださいね」
「ありがとう、渚ちゃん。いくらかな?」
 夕食前でたい焼きを買うのは遠慮したいところだけど、せっかくの渚ちゃんの厚意を無駄にするわけにもいかないと思い、俺は一匹だけ買うことにした。
「お代はいりません。どうぞ持っていってください」
「えっ、いいの?」
「えへへ、お兄さんがお店に来てくださった記念です。お父さんには内緒ですよ」
「分かった。ありがたくもらっておくよ渚ちゃん。じゃあ、また」
「はい、またですお兄さん」
 俺はたい焼きをくれた渚ちゃんに感謝しつつ店を後にし、真琴が欲しがったドラ焼きを隣の店で購入して帰路へ就いた。

…第壱拾四話完


※後書き

 今回、有紀寧が出てきたわけですが、これでCLANNADのヒロインクラスが出て来るのは打ち止めですね。あとCLANNADキャラで出るとしたら、祐介さんや美佐枝さんなどのサブキャラくらいですね。CLANNADでは春原や智代が好きなのですが、時系列的に出すのは無理なので、出したくても出せないという感じですね。
 あと時系列でいえば、時間的には「1999年1月」ですので、それ以後の作品等をネタにできないという制約がありますね。アイマスやらケロロ軍曹ネタにしたくても、時系列的に当時存在しない作品は出せませんので。せいぜい作品名出さないで台詞ネタだけ出すのが限界ですね。

壱拾五話へ


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